地元人気月刊誌『ゆうマガ』2004年11月号掲載記事
ノースウエスト企業探訪
宏徳エンタープライズ
ワシントン州ベルビューにある不動産会社、宏徳エンタープライズの社長・菅沼愛子さんの写真を、
新聞や雑誌の広告などを通じて一度はご覧になった方も多いだろう。
自信に満ちた「やり手の女性実業家」のイメージに包まれた彼女だが、その「素顔」とは?
photo1 息子さんの秀夫さんといっしょに
駐在員の妻、夫の死、そして教師へ

YOUマガ(以下Y):1970年に、駐在員の妻として初めて渡米されたそうですが、その頃からずっとアメリカで仕事を持って暮らしたいとお考えだったのですか?

菅沼(以下S):いいえ、とんでもない(笑)。主人の転勤に妻としてついて来ただけでしたから。その頃は英語も話せませんでしたし、息子の秀夫もまだ1歳8カ月だったので、毎日専業主婦としての生活を送っていました。それに、当時はまだ、日本人には主婦が仕事を持つことにかなり抵抗があった時代でした。ですから、アメリカに住んで、たくさんの主婦が社会に出て働いているのを見てとても感動しました。

Y:滞在期間はどのくらいだったのですか?

S:最初の転勤は7年半という長い任期でした。そして一度、日本に帰国しまして、その後もう一度、こちらに転勤になったんです。

Y:では、2度目の転勤先もまたシアトルだったのですか?

S:そうなんです。ただ2度目は、赴任してすぐ会社の健康診断で主人が肺がんと診断されまして、1年ほどで亡くなったんです。ですから、その後は息子と2人きり。アメリカに残るためには、とにかくワーキング・ビザを取得できる仕事を探して働かなければなりませんから、学生時代に取った教職を生かして教師になったんです。日本語補習校やベルビュー・コミュニティー・カレッジなど3校を掛け持ちして教えながら何とかここに残りました。

Y:でも、なぜそこで日本に帰らず、アメリカに残ろうと思ったのですか?

S:やはり、秀夫にとってその方がいいと思ったからですね。(隣に座っている秀夫さんに微笑みながら)片腕がない彼にとっては、アメリカの方が、日本よりもずっと暮らしやすいと思うんです。主人も亡くなる前まで「アメリカは、ハンディがある人でも、ほかの人と同じ事ができれば同じ評価をしてもらえる。秀夫にはここで骨をうずめさせてやりたい」と言っていましたから……。ここは何としてもアメリカに残らなくちゃ! と、思ったわけです。

photo2
大切なのはポジティブに生きること
“何とかなるさ”という前向きな姿勢

Y:日本語補習校で教師をされていた頃、運動場で突然目を狙撃されたというのは本当ですか? その時、どんなお気持ちだったのかお聞かせいただけますか?

S:撃たれた瞬間は顔面が血だらけになったので、とても驚きました。手術を2回受けて2回目の手術でようやく目の裏に入った弾を摘出したんです。でも、病院で目に包帯を巻かれてベッドに寝ている間は、「これからお嫁に行くわけでもないし、もしもこのまま片目が見えなくなっても、もう片方あるから何とかやっていけるだろうな」なんて思っていました。すでに47歳でしたから(笑)。

Y:信じられないほどポジティブな考え方ですね(笑)。私だったら不安でオロオロするだけのような気がしますが……。後遺症などはないのですか?

S:それが全くないんです。信じられないことらしいですけれど(笑)。お医者様にも「これは医学的には説明できません。もう“奇跡”を超えていて、誰かがあなたを守って下さったとしか言いようがありません」と、言われたんですよ。

Y:それは本当によかったですね。お元気になられた後、1991年に宏徳エンタープライズを創業されたそうすが、なぜご自分で不動産の事業を始めようと思われたのですか?

S:その当時はアメリカにずっと残るためのビザが必要だったので、そのために弁護士の方と相談して会社を起こすことにしたんです。不動産の事業をすることに決めた理由は、日頃から「日本人の方が不安に感じていることや、選択の失敗をしたら大きなダメージを受けてしまうことを防ぐ力になりたい……」と考えていたので、宏徳のような役割には意義があるなって思ったからなんです。それで、不動産業に携わるための州の資格を取ろうと決意しまして、大嫌いな勉強を毎晩夜中まで必死にやりました(笑)。そして、机をひとつだけ買って、それをあるオフィスの隅に置かせてもらってこの仕事を始めたんです。

Y:でも女手ひとつでお子さんを育て、経営者としてここまで事業を軌道に乗せるまでには並々ならぬご苦労があったのでしょうね。どのように両立なさってきたのでしょうか?

S:うーん、両立できているのかしら(笑)? 私は経営者である前に母ですし、そうでありたいと思っています。それに今は秀夫が一緒に会社を手伝ってくれていますので、彼に助けられながら2人でやっているんですね。ですから両立というよりも、彼の理解とサポートがあるからここまでやってこれたんですよ。でもゼロから何かを形作るということが、こんなに大変なこととは思っていませんでした(笑)。


photo2 “家族の一員”となった犬たちと
傷ついた犬や捨てられた犬をみんな家族の一員に

Y:毎日大変お忙しいと思いますが、お休みの日はどのように過ごしていらっしゃいますか?

S:こういう仕事ですから丸一日お休みが取れることはないんです。どんな時間に残されたメーッセージでも24時間応対できるように、事務所が終業した後の電話がすべて私のポケベルに転送されるシステムになっているんですよ。ですから、夜中にかかってくることもありますし……。いつ寝てるんですか?って、よく聞かれます(笑)。年中無休といったところかしら(笑)?

Y:それならば、今、一番欲しいものは何ですか?

S:欲しいものですか……(と、しばし考える)。自分が自由に使える時間かな。ゆっくり日本のビデオが見たいですね。それと(隣の部屋を見ながら)家で犬達と一緒にいる時間が欲しいです。

Y:それにしても、たくさん犬を飼っていらっしゃいますね。これだけいると毎日のお世話だけでも大変でしょう?

S:ええ、大変です。うちにいる子(犬)達はみんなボロボロになって私に出逢った犬なので大事に飼ってあげたいと思うんですよ。どの子も見つけた時は道端でけがをして歩けない状態だったり、やせ細って骨と皮だけだったり、前のオーナーから虐待されて人間恐怖症になってしまっていた子達だったので、元気な様子を見るだけで嬉しくなります。

Y:みんなこのお宅で生まれ育ったかのように、とっても元気そうに見えますが?

S:ええ。愛情と責任を持って飼ってあげれば、ボロボロになった犬でもこうなるんですよ。虐待された動物に出逢うたびに悲しくて胸が痛むんです。だから、せめて私が出逢ったこの子達には愛情をいっぱい注いで、お互いに励まし合いながら生きています。いつも大騒ぎでムツゴローさんのおうちのようだけれど(笑)。



「やり手の女性実業家」とのインタビューということで、心して出掛けた私だったが、どんな質問にも、終始、柔らかな語り口と明るい笑顔で応じて下さった菅沼さん。お話を伺って、彼女の生きる姿勢に勇気づけられた思いである。
(取材・村山みちよ、撮影・後藤清純)